会津 鶴ヶ城の茶室「麟閣」の表門(四脚門)について
麟閣の門の存在と形式が気になりました。
鶴ヶ城が壊される以前、つまり江戸時代までは、鶴ヶ城のパンフレットの展開図の様に、茶室は「本丸御殿からの棟続き」だったようですので、門はありませんでした。
にも関わらず、麟閣には表門と裏門が存在しています。
しかも、この表門の仕様は「四脚門」という、江戸時代において崇高な格式の家にしか許されない最上級の仕様なのです。
この四脚門が示す家格は、千家なのか会津藩なのか、明治以降麟閣を守っていた森川さんちなのか、はたまた、もっと思いもよらないものなのか。
この門の由来を散々ネットでしらべたものの、全然ヒットしない。
なので管理する会津若松市観光公社に問い合わせてみました。
回答は、「有料区域の出入り口として門を取り付けた」というものと、「四脚門は、市教委が専門の先生方の意見と、ほかの日本的な施設などを参考にした上で採用したもので、特定の事例を復元したり模したりしたものではない。」とのことでした。
平成2年にそれっぽく新築したもののようでした。なんだか残念。