平成29年10/15発行
令和3年2月17日修正

西戸野内村の西はどこに対しての西か?

 

現在の大田原市実取の地区は、江戸末期時点で、三斗内村、西戸野内村、鷹巣村の三村に分かれていた。このうち、三斗内(サンドウチ))と西戸野内(ニシトノウチ)の発音に似た雰囲気を感じたことに興味を持つ。ドウチとトノウチである。語源は何なのか推理してみた。
まずそれぞれの村の歴史を調べてみる。三斗内は現在、三堂地と表記が変化し今もサンドウチと発音されている。日本地名辞典によると初見は豊臣政権の時代、天正18年、那須資景知行目録に「ミた内」とあるらしい。鷹巣村の初見も三斗内と同じく天正18年の那須資景知行目録に「たかのす」とあるらしいが、鷹巣にある湯泉神社の創建は境内石碑によるともっと古く、平安時代の久寿とある。西戸野内の地名は現在残っていないし知る人もいない。日本地名大辞典によると元禄郷帳(1702年頃)が初見のようなので、三斗内と鷹巣より若い村なのかもしれない。
西戸野内をほじくってみる。この西はどこに対しての西なのだろうか。
<戸ノ内村に対しての西の可能性>
手始めに他にトノウチと発音する地名はあるか調べると、大田原城から真北に3.6kmほどの所に戸ノ内村(現在は大田原市戸野内)があった。西戸野内は戸ノ内からみて南南西に位置するので、どちらかといえば南なので西というのは不自然に思う。
<大田原藩から見た西の可能性>
次に大田原藩から見た場合を考える。地図上では、大田原城を基準にすると戸ノ内は北、西戸野内は南西である。感覚的にはどうであろう。僕主観で申し訳ないが、大田原城跡から旧西戸野内村区域内にある「みどりフィッシングエリア」の方角を考えたとき、僕は西とは思わない。むしろ奥州街道を南下して江戸寄りであるから、なんとなく感覚的には南と言いたい。これも違う気がする。
<三斗内から見た西の可能性>
結論をいうと、三斗内に対しての「ニシ」なのかもしれない。「おいおい、上の地図では南北の位置関係だろ。」とご批判が聞こえてきそうだが、根拠を聞いてほしい。「ニシ」の音の意味をネットで探っていたら沖縄弁にたどり着いた。本土の人が言う東西南北を沖縄弁でいうと「アガリ・イリ・ハエ・ニシ」となるらしい。沖縄弁では北を「ニシ」というらしい。まずここでトノウチ、ドウチは沖縄弁と関りがあるのかもしれないと着想をえる。

三斗内出身の方から話を聞けた。お話からしておそらく1950年頃、三堂地からみて現在ある釣り堀(みどりフィッシングエリア)の手前に大久保さんという大富豪がいたという。おできに効く大久保膏で財を成したという、その大久保さん宅を「トノジ」と呼んでいたという。トノウチに音が似ている。また別の方からも話が聞けた。やはり、みどりフィッシングエリアあたりがトノジであったという。
ここで三斗内と西戸野内の境界を整理しておきたい。陸地測量部42年発行の喜連川の左上に実取がある。それをみると、話に聞いた通りの場所に大久保さん邸らしき建物が見つかる。その邸宅の三斗内寄りに川があり、おそらくその川を境に西戸ノ内と三斗内は隔てられていたと考えられる。

話を戻し、では「トノウチ」または「トノジ」に近い沖縄弁の音はないだろうかと調べたところ、ヒットした。沖縄では「親方家」をドゥンチといい、首里以外での親方家をトヌチと呼んだとWikipediaにあった。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BF%E5%86%85)。しかもそれら当て字の中に殿内(とのうち)とある。ドゥンチ・トヌチのネイティブな発音はトノウチに近いのだと思う。youtubeで沖縄民謡・赤田首里殿内(アカタサンドーチ)を検索してほしい。youtube内のルビでは「アカタスンドゥンチ」とあるが、民謡の発音を聞くに「アカタ・サンドウチ」としか聞こえない。

そろそろ僕の言いたいことにお気づきであろうか。三斗内はサンドゥンチで、西戸野内はニシトヌチが本来の発音であったのではなかろうか。そして、それらの村の起立に琉球の人がかかわっているのではなかろうか。なんつって。

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